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カモミールの香りにのせて、日常を書きとめていこう。ただ徒然と。
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deepnight
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つくば在住
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アグレッシブピアノ弾き
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夕方、携帯をなくして大慌てでした。
今までも何度かあったけど、
だいたいポケットに入ってたとか車内に落としてたとかその程度で。
本格的に落としてしまったのは初めてで、パニック状態。
幸いなことに友人先輩と、
拾って学校に届けてくれた見知らぬ誰かのおかげで無事見つかりました。
本当に助かりました、ありがとう。

人見知りを通り越して他人嫌いの気がある自分ですが、
(ここで言う「他人」ってのは見知らぬ人のことですね)
こういうことがあるから人の暖かさって捨てたもんじゃないよなと、
そう思うわけです。
人間だもの。人間嫌いじゃ生きてけないよ。

ここ数日の創作活動は、結局のところ逃避でした。
おかげでいい趣味見つけたけれど、あまり没頭しすぎるのもね。
冷たい夜風に晒され続けた心にも、少し温もりが帰ってきた。

そういえば今日、ハルジオン見つけた。
もうそんな季節なんだね。気付けば5月か。
いいタイミング。
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4年の必修授業は討論の授業なのですが、
今日のテーマは「ライフボート問題」というものでした。

救命ボートに自分を含む9人乗っています。内訳は
・自分(船長)
・意識不明の女性
・優秀な大学生
・赤ん坊
・身寄りのない子供
・大会社の社長
・世界的スポーツ選手
・ガンに侵されたノーベル賞受賞者
・テロリスト
さてここで、
①食料が明らかに足りません。
どうやって分けますか?
②一人下りないと沈没してしまいます。
誰に下りてもらいますか?
③救助ヘリが来ましたが、一人しか助かりません。
誰が助かるべきですか?

記憶を頼りに抜粋すると、こんな感じでした。
難しすぎですよね……俺には決められない。
でもそれじゃ論議できないので、答えを探さなきゃならない。

俺の意見は、
「船と命運を共にするはずの船長が救命ボートに乗ってることがそもそもおかしい。誰かが犠牲になれば全員助かると言うなら船長が犠牲になるべき」
だったんですがそれでは③は決められない。

②に関しては、うっちーの意見を参考にすれば
「健康な大人全員が半身だけ水に浸かり、ボートにつかまる」
という道がありますね。なるほど!
また③は、他の人の意見ですが
「子供が赤ん坊を抱いてヘリに乗る」
という上手い考えも。
たしかに重さ的には大人一人分に満たないもんね。

でもとんちじゃないんです。
逃げ道を探す問題じゃないんです。
仮に就活のグループディスカッションなら、
そういう発想の転換が出来る人がいいかもしれない。
でもここではただ単純に、「誰を犠牲にしますか」というだけの問題。

この問題の場合、「助かるべき順番」という人間の価値を決めます。
怖いですよね、そう考えると。

物事の価値と言うのは主観によって決められるもので、
だからこそ新しいものを作るときには慎重にならなければならない。
だからこそこういったテーマで議論して、
工学を職にする人間に必要な倫理観を学ぶ、という授業だそうです。

週に一度のこの時間。
俺も、足りない頭振り絞って、色々考えてみようと思います。
朝健康診断に行き、身長が1cm伸びていることに大げさに喜びましたズボンの踵踏んでたせいだとかは言うな。

初っ端から改行ルール破ってネタに費やしてますが、
まぁそういうことです。
その後研究室に行こうかなと思ったんですが、
特に用もなく行けるほどまだ慣れていないために怖気づき、
帰ってきて「赤僕」を読み、
ボロボロ泣いて、
部屋掃除を再開していた次第です。
ちなみに授業はありません。


部屋掃除、というかプリント類整理してたんですが、
出てくるわ出てくるわ今まで捨てられなかった懐かし資料ども。
楽譜の類は絶対に捨てずに取ってあるんですが、
それ以外にも進行表とか配車表とか何でもかんでも取ってあって。
今回思い切って楽譜以外のものは捨て去りました。
でもなーんか、一枚一枚懐かしくって。
「赤僕」読後のセンチな気分も後押ししてるんでしょうが、
アナ原の推敲前のものとかさ、何十回と改稿した照明進行表とかさ、
なんかねぇ。

53定の照明進行表が出てきたときは正直ビビった。
後輩達は知らないだろうなぁ、あの頃はまだ縦書きでした。
ワードで書いてたんだよね。だからあまり綺麗にならなくて。
しょーたさんのアドバイスを受けてエクセル書きにしたのは、
良かったことだと思います。見やすい♪
一番最初に書いた進行表だからさ。
もう何から何までわかんなくって。
しかもカラー照明の色を「夕焼けが街を照らす感じ」とか、
イメージで書かなきゃならなくって。
必死に想像(妄想?)を巡らせていました。
だから、今でも53定ポップス曲にはすべてストーリーが残ってます。

演出ノートも出てきた。
係長になってから持ち歩くようになった、A4サイズのノート。
リハで生まれた変更点をずらーっとリストアップした一覧表とか。
ゲネを見ながら暗いホールで書いた汚い走り書きとか。

至らなかったことも、過ちもたくさん。今でこそわかる。
だから、思い出すひとつひとつが嬉しいやら恥ずかしいやら。
だから、ノートだけは捨てずに取っておきます。
いい思い出も恥ずかしい思い出も全部ひっくるめて、
自分の為したことの証として。

31期が入ってきます。
もう30期が仕事をするんですね。
年寄りの感傷は、もう十分。
次の演奏会―――未来を楽しみにさせていただくとしましょうか。


くっせー。
でもそーいう気分になってしまったんだから仕方ない。
たまには、いいか。
P.S.
俺も、ライブとは言わないまでも、
ノリで集まって聴衆の前で音楽やれるのが理想です。
んー、練習の前にピアノ弾いてくか。
成田空港に行きました。
韓国へ旅立つ友達の見送り部隊で。
実は初めてです。多分。
高速とか使わずにクルマで行ける距離だということに驚き。
そっかー成田って千葉県だったね!忘れてました(えー
……すみません全千葉県民の方々に深くお詫び申し上げます(笑)
でもディズニーランドは千葉にあるって知ってますから、
それで勘弁してください……ダメ?
ちなみに今回も、人のクルマで出かける貴重な機会でした。
リアシートに座って思うこと、やっぱドライバーって負担大きい。
あらためて、乗っけてくれてありがとうっ!


小さい頃、名古屋空港(注:セントレアではない)まで、
飛行機を見によく連れて行ってもらいましたが。

「クジラの彼」収録の短編に名古屋空港が出てきまして、
一人浮かれていたのは他でもない自分です。
しかもドッキドキのラブシーンで(以下自粛)
……話がそれた上に暴走した。

空港なんてすごい久しぶりで、童心に帰って興奮してました。
飛行機って、よく見たら寸胴な鉄の塊じゃないですか。
翼を取ったら……円柱?よくよく見るとなかなかダサい。
そんな感想を持って、空港で感じたこと。
アレが飛び立つところが、どうにも不思議でたまらなかった。
空跳んでるところには違和感を感じないんだけど、
離陸するところを見ると「すごい」と感じる。
なんでアレが、あの鉄の塊が浮き上がるんだろうか、と。
航空力学とか学んでないからさっぱりですが、
あーそっちの分野も楽しそうだったかもなー(今更)
そしてその離陸するところを何度も見ていると、
「アレ落ちないのかな……」と怖くもなってくるわけで。
飛行機に乗るのがほんの少し怖くなりました。

若干誇張かもしれないけど僕の父さんは、
頻繁な海外出張で一ヶ月の半分以上日本にいません。
ものすごい頻度で空港に来ているであろう父さん。
なんとなく「めちゃ忙しいよなぁ」くらいにしか思ってなかった。
今日初めて、それが実感として沸いた。
すげぇ。


ゆっくり旋回してきた大型の旅客機が
僕らの真上で得意気に太陽に覆いかぶさった
その分厚い雲を難なく突き破って消える

まるで流れ星にするように僕らは見上げてた
思い思いの願いをその翼に重ねて

「Worlds end」by Mr.Children

ピアノ漬けで、ふと思い出したことが色々あって。
今日はピアノに関する記憶を書いていこうと思います。
勢いのままに書いていくので分かりにくいかもしれませんが、
そこんとこはご了承ください。



僕がヤマハ音楽教室に通い始めたのは、3歳のときです。
親曰く「音感を鍛えておかないと英語ができないから」という理由で。
……ホントかなぁ。
とにもかくにも、ヤマハに通い始めたわけです。
4歳からはたしかエレクトーン教室でした。
10人くらいのレッスン。
で、いつ頃か忘れたけど、
ヤマハで教えてもらってた先生の個人レッスンに切り替えて。
そのうち兄弟3人は大変なので、家庭教師になってもらいました。
以来何年も、毎週木曜日はピアノの先生が来るという生活が続きます。

レッスンはとにかく厳しかった。
それ以上に親が厳しかった。
毎週の課題は指の訓練(ハノン)と練習曲、クラシック曲という構成。
各曲集で先生が満足したら合格シールをもらえて、次の曲に移ります。
もう少し練習しましょう、ならバッテンがつきます。
練習しないと、毎週バッテンがつけられて。
楽譜のタイトルの左側がすごいことになります。

そして厳しかった親の出した課題は、
・毎日1時間練習すること。
・課題の曲をそれぞれ10回ずつ練習すること。
10回数えるために、ピアノの譜面台の上に磁石を10個置くんですよ。
磁石じゃなくて小さい積み木だったかなぁ?
1回練習したら右から左へ1個移す。
で10回終わったら次の曲の練習。

幼い時分には、ひたすらにつらかった。
毎日のように泣いてたような気がします。
それでもやめなかったのは、
臆病で「やめたい」と言えなかったか、
言ってもやめさせてくれなかったか、どっちかですね。
けどどっちにしても、ここでやめなくてよかった。
今となっては、厳しかったけどやめさせなかった親に感謝。

それでも小学校高学年になると、
ピアノを習ってる男の子が学年に2、3人いて。
自然とその子達と、張り合うようになっていきました。
小学校には「音楽委員」ってのがあって。
週に一度の朝の「音楽集会」でのピアノ役を交代交代でやってました。
課題の曲が面白くなってきたのもあって、
その頃から少しずつ、ピアノが楽しくなってきたんだと思います。
面白い曲の作曲者は、湯山昭。
彼の曲との出会いが、今の自分の演奏スタイルも作っていきました。

中学に上がると、合唱の授業の伴奏者になりました。
引っ込み思案だったために、自分からやりたいとは思えず。
最初は周囲に押し付けられる形で始めたんですね。
そしたら、音楽の先生にひどく気に入られて。
必要とされることで、多感な時期の存在意義を見出したというか……
とにかく、ピアノ伴奏者としての自分が一番大きかった中学時代。
先生には、
「剣道部やめてコーラス部の伴奏者やって」とまで言われました。
コーラス部には女子しかいなかったし、
何かしらスポーツはやっとかないとまずいと思ってたことで、
結局その誘いには乗らなかったのですが。
乗ってたら今頃どうしてたかなぁ。
ちなみに当時コーラス部は全国大会まで行ってました。すごい。
そんなこんなで、めでたくピアノが好きな自分が出来上がったわけです。
まぁ、調子いい話ですよね。
ただ単に褒められて天狗になってただけっていう。

高校に上がると、人前でピアノを弾く機会も減って。
もっと上手い人間もたくさんいて。
吹奏楽を始めたこともあって、ピアノに割く時間は減りました。
そしてこの頃、ずっとお世話になってきたピアノの先生の勧めで、
再びヤマハにジャズピアノを習いに行くことにしました。
……このとき、もっと頑張っていればなぁ。
当時は伴奏することだけで天狗になってたし、
新しくコードを覚えたりとかは見たことない世界で。
全然練習しなかったので、今思うと本当にもったいなかった。
それでも、自分からピアノを取ったら何もなくなってしまう。
弾けなくなるのは怖かった。
だから昔やった曲を繰り返したり、ポップスの楽譜を弾いたりして。
プライドだけは必死に保とうとしていた気がします。
その根性は、あまり好きじゃないけど(自己嫌悪)。
だから弾き語りを練習し始めたのも、たしかこの頃。
家族には下手だとこき下ろされてました(笑)



いいことも嫌なことも、たくさんあって。
そんな中で18年、続けてきました。
才能もないし、プライドばかり高くて自分でも困ったもんだけど。
やっぱりピアノを弾くのは、好きです。

そして今。
個性に溢れたピアノ弾き達と出会って。
ピアノのいろんな楽しみ方を知って。
数々の演奏機会をもらえて。自分でも作って。
けっこう幸せだよな、と思う今日この頃です。
今週末はコンサート。
もちろん本気で。けど、楽しんでやりましょう。

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